母の気持ちがよみがえる
あのときこうだったのか あるときからどうも母と合わなくなり距離をおきはじめました。自分に都合よくこうなってほしいという願いを一方的に押し付けてくるのが耐えられなかったんですね。母はかなりの我慢や忍耐を自ら選びその見返りをどこかで求めていたのかもしれません。自分を犠牲にしてきたのに私が離れていくなんて考えたくもなかったでしょう。 認知症になり私が介護にかよいひとまず願いは叶ったのかもしれません。当時は片道400kmの往復だけでヘトヘトで魔窟のようなゴミ屋敷片付けと介護を並行しながらピアノ教室の運営やバリアフリー改修の打ち合わせもしていました。自分の体調もままならないなかよくやったと思います。 認…