子供が泥だらけになって一生懸命遊んでいる姿を愛おしく思います。桜は満開です。ついに子供はお粥を卒業して柔らかいご飯を食べるようになりました。母はお粥すら食べら…
昨日、淡路島へ行ってきました。大阪から車で1時間半ほどあれば着く距離なんです。明石海峡大橋を渡って。父が四国の生まれということもあって幼い頃、この橋を渡って親…
2024年3月20日。 祖父母(母の両親)の家に1泊2日。 母は1日目の夕方から「もう帰りたい」と泣き出していました。 2日目の朝も「帰りたい」と泣いた母ですが、いよいよ帰る時間が近くなってきました。 ちなみに、1日目の夕方と2日目の朝は父に電話しました。 母「もう帰りたいから迎えに来て」 父「無理だよ。お酒飲んでるもん」 母「帰りたい泣」 父「娘ちゃんと一緒に帰っておいで」 母「わかった」 父はときどき笑いながら母と話していました。 祖父曰く、父と一緒に2人で祖父母の家を訪れるときには「帰りたい」と言ったことはないそうです。 父がいないと寂しいのかなぁ・・・? 私「ママ、パパがいなくて寂しい…
2024年3月20日。 祖父母の家に1泊2日したときの2日目のお話です。 母は朝5:30頃にトイレで起きてから、きっとうたた寝状態だったのでしょう。 祖父が朝6:30に起きた物音に母は反応してリビングに行きました。 私は横になってダラダラしていました。 母と祖父がなにか会話をしているのが聞こえました。 多分、母が下着だったので祖父が「寒いからまだ布団に入っていろ」というような会話をしていたんだと思います。 母は割とすぐに布団に戻ってきてうたた寝を始めました。 祖父は起きてからリビングの暖房をつけてゆったり新聞を読みます。 祖母は朝8時頃に起きてリビングに行きます。 母は祖母が起きてから少しして…
母の入院が長引いてます。早く退院して、早く日常の生活に戻してあげたいのに…胃瘻の造設にこれほどの入院が必要だとは、想定外でした。寝たきりの毎日で母がどんどん弱…
私たちは生きています。2023年はしょっぱな家族そろってコロナ罹患からのだありんが重症肺炎ICUで崖っぷちの闘いを経て2カ月後にボロボロながら退院しましたその後MUSICAのMACに二次感染が見つかり2人そろって自宅療養の日々ですもう一度桜が見られるかそんな冬を越えてなんだか昨年の春よりも元気に桜の季節を迎えたような気がしますだありんは闘病10年を超えMUSICAは還暦を迎え何度ももうだめかもを越えてなんとなくまたもや医療の常識を覆してしまったっぽいですそうして2024年孫ちゃんが誕生してMUSICAとだありんはばばりんとじじりんになりました不治の病それがどうしたMUSICAとだありんは愉快に生きています思うようにならない身体でもそれなりにできることは見つかります6月のだありんのお誕生日ごろを目標に畳のさ...MUSICA60歳になりました
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